さちこウィークリー

漫画と舞台が好き。観た作品の感想や観劇についてのあれそれを気ままに綴ります。

好きな人リストにロミジュリのベンヴォーリオを追加

前回に続いて、ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」の話。

 

romeo-juliette.com 
2回観ました。

1回目は古川雄大ロミオ、葵わかなジュリエット、三浦涼介ベンヴォーリオ、平間壮一マキューシオ、渡辺大輔ティボルト。2回目は大野拓朗ロミオ、木下晴香ジュリエット、木村達成ベンヴォ―リオ、黒羽麻璃央マキューシオ、廣瀬友祐ティボルト。

1回目の感想はこちら

ミュージカル版を初見なこともあって、1回目はストーリーと演出の全体像を追いかけました。充分おもしろかったけど、やっぱり舞台はお話と演出が頭に入ってからが本番だわ…。

2回目は木村ベンヴォーリオ&黒羽マキューシオと、そもそものお目当てキャストだったこともあるし、それぞれの人物の心情に揺さぶられながら、歌もじっくり味わえて、最高に楽しかった! ロミジュリがこんなに楽しいなんて知らなったよ~! 2019年よかった舞台、暫定1位!


太陽みたいな大野&木下カップ

大野ロミオ&木下ジュリエットはすでに安定感がありました。

木下ジュリエットは脚が細くてびっくり。芯が強くて凛としてて、自分の運命は自分で切り開いていきそうなジュリエットだった。

大野ロミオは光属性すぎて、まるで童話に出てくる白馬の王子様。モンタギューはドラゴンを背負う一家だけど、白いライオンって感じ。オタク的イメージでいうと宮野守さんみたいな。歌声も表情と一緒で柔らかくて。

古川ロミオはぽやっとした印象が強くて、大野ロミオは賢そうだった。一つひとつの自分の感情を、けっこうその場で整理して受け止めているような。心優しい少年感は大野ロミオのほうが強いけど、不器用な子供感は古川ロミオ。

比べてみると、古川ロミオはエリザベートのルドルフ色が強いというか、闇属性なんだな~と。美しく生まれすぎて、自分の運命を呪う役が似合いすぎる。

不思議なことに、大野ロミオ&木下ジュリエットでは、古川ロミオ&葵ジュリエットで感じた、死に導かれる悲壮感がなかった。ロミオの思い描く平和、ジュリエットが求める愛が、全然、夢物語じゃない。役者さんが変わるだけでこれだけ違うからおもしろい。そして、その受け止め方も観客それぞれ違うのが興味深い。

 

キャピュレットが愛おしくなった

廣瀬ティボルトは、貴公子って言葉がぴったりの、体型は逆三角形の、童話から出てきたプリンスって感じだった…。俺だってジュリエット好きだし…俺だって好きで闘うわけじゃないし…という泣き言も、あれだけ情感たっぷりに歌われると、き、気持ちわかるよ…とほだされてしまう。

キャピュレットのパパも、いや、やっぱり、受け入れがたいけど、歌がな~歌がいいとね、頭では納得できない、信条に反することを言われても、心に響いてしまうものなんだよね。歌はいいね。

キャピュレット夫人が、娘相手に女同士の戦いを挑んでしまうというか、自分の愛人ティボルトの矢印が娘ジュリエットに向いてることを知って、娘をわざと傷つけてしまったりするところ。いるんだよなそういう女…。「男が闘うから憎しみが生まれる、悲しむのはいつも女」と言いつつ、自分も憎しみに支配されている。あなたの味方にはなれないけど、気持ちわかるよ…。

 

木村ベン&黒羽マキュがやばいよ…

ベンヴォーリオの木村達成くん、マキューシオの黒羽麻璃央くん、が、やばかったよ…!!!! 思わず太字になる。

まず二人とも歌がうまくてびっくりしました。もともと歌えるのは知っていたけど、きちんとレッスン受けて、自己流じゃない、シンプルでストレートな歌い方がしっかりできてるなって思いました。同時に、2.5ミュージカルの役者さんたちが、いかに自力だけで歌わされてるかがわかる…。

私はこれまで何回か観たことある、という程度だけど、それでも我が物顔で「あのイケメン、素敵でしょ!いいでしょ!」って言いふらしたくなった(笑)。もっと前からずっと応援されてきたファンの方々、そりゃあもう嬉しいだろうなあ。

二人とも、衣裳とヘアメイクも似合ってて、背高くてアクションできて歌って踊れてちょっとスカした&自暴自棄になりがちな良家出身の男の子っていうのが、最高に可愛かった。舞台セットの高いところから飛び降りる動作が何回かあって、着地したときに足ビーンてならないのかなって心配だけど、その動きかっこいい~かっこいいよ二人とも。

 

危うさと色っぽさの黒羽マキューシオ

先にマキューシオの麻璃央くんの話。もともと歌声に色っぽさがあって、表情を歌に乗せるのがうまい人だなという印象だったので、これからどんどん表現力が磨かれていくんだろうなって期待でいっぱい。

歌声だけじゃなくて普段の声も、表情豊かで好きなんだよね。澄んでるけどよくうねるっていうか…うまく説明できない(笑)。あとは曲に乗って軽く身体動かすってだけでも、なんか妙に決まるんですよ、麻璃央くん。

彼はあの…精神的に不安定な役が似合うというか。ラリってる様子がハマりすぎてた。古川さん同様の闇属性だよね。チャラいし、いたずらっ子だし、でもその陰に孤独が見え隠れして、「良いおうちに生まれた問題児」なんだろうなという。

麻璃央くんはそういう危なっかしさを、色気っていう武器にできるタイプ。このマキューシオはモテるな~。年上のお姉さんに飼われてそう。でも実際にはいきがって年下女子にしか手出さなさそうな空気もある。そして意外にしっかりしてて、ロミオに何かあるとすぐ真剣な目つきになるところがかっこいい。

きっと大野ロミオの太陽みたいなあったかさに、救われてきたんだろうな。口では言わないし、ロミオの勝手な行動を怒りもするけど、ちゃんと最期には親友にエールを贈る強さを持ってる。うう~苦しい、かっこよくて苦しいよマキューシオ…。

 

熱くて優しい、いい男すぎるぞ木村ベン

さて。ベンヴォーリオの達成くん。声量あって、ソロ曲も堂々としてて驚いた。背高くて顔が濃いめ、目が大きめの美男子なので、これからアレとかソレとか演じることになるんだろうな~って妄想が膨らむ。

しかしベンヴォーリオですよ。ベンヴォーリオです。ベンヴォーリオ…。

一人で勝手ばっかりして、ある意味で自由を貫いてるロミオのすぐそばにいて、彼の背中を押し、肩を抱き、背中をさする…いつでもその手を差し伸べて、ロミオの苦しみを一緒に背負ってあげるベンヴォーリオつらい。愛しい。幸せになってほしい。

達成くん自身のビジュアルがものすごく正統派なので(濃いけど)、ベンヴォーリオも真面目に見える。三浦ベンに比べて、まだ青い。そもそも実年齢が若いってことを、知っちゃってるから余計かもだけど。

不器用。真面目だから、ロミオみたいにふらふらもできないし、マキューシオほど感情をすぐ表に出す口達者なわけでもなく。三浦ベンは…実は街の女みんなツバつけてるけど、そういう遊びはもう卒業したよみたいな、大人の余裕も感じた。木村ベンは心がまだ大人になってなくて、ロミオの代わりに、マキューシオの代わりに、自分が傷ついちゃうような…。

ロミオの犯した罪も、ジュリエットの死も、二人の結末も、見届けなきゃいけなかった木村ベンヴォーリオの表情が、すごかったです。すっごくよかった。彼がいるなら、ヴェローナの未来は明るいって思える。ラストの一連のシーンは、木村ベンに釘づけでした。

あ~…ベンヴォーリオがすっごくよかったんだけど、説明しきれない…ベンヴォーリオです、私きょうからベンヴォーリオの女になりたい。三浦ベンも木村ベンもそれぞれめちゃくちゃよかった。ベンヴォーリオ最高。

 

まとめ:めっっっっちゃよかった!!!

ロミジュリこんなにおもしろいなんて聞いてないぞ。これまでの公演のキャストでも見たかったし、ロミオ・ベンヴォーリオ・マキューシオの組み合わせごとの無限の可能性をすべて目撃したい

このトリオに限らず、一人ひとりに独唱があって心情がクローズアップされるので、それぞれの人生ドラマを楽しめるのもいい。回数入れるなら、今日はこの人、今日はこの人の目線で物語の世界をのぞいてみる、っていうのができるんだよね。味わいが増します。

この独唱タイムは、お話の流れで必要だから入ってくるんだけど、実はセットの転換タイムだったり、キャストのお着替えタイムでもあるのが読めるので、それもまたおもしろいです。常に物語が動くし歌が多いので飽きない

改めて考えると、この人が下手!だったり、ここ飽きちゃうんだよな、みたいなパートもなく、ストーリー、キャスト、曲、歌、演出、衣装、ダンス…全部楽しいという、奇跡的な演目かも(完全に個人の好みによります)。

ロミジュリの世界で生きる大人も子供も、みんな青くて、孤独や、葛藤を抱えていて、どうしたらいいのかわからなくて、運命に翻弄されていく様子が、苦しかった。一幕ラストの乳母独唱からのエメとか、二幕のクライマックスとか、まさか泣いちゃうと思わなくて。あ~おもしろかった。

個人的にはベンヴォーリオのスピンオフがほしい!

ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」初めて観たけど

ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」初めて観たんですけど、めちゃくちゃおもしろいじゃん!!! なんでみんなもっとはやく教えてくれなかったの!!笑

 

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取り急ぎ2回観劇しました。

1回目は古川雄大ロミオ、葵わかなジュリエット、三浦涼介ベンヴォーリオ、平間壮一マキューシオ、渡辺大輔ティボルト。2回目は大野拓朗ロミオ、木下晴香ジュリエット、木村達成ベンヴォ―リオ、黒羽麻璃央マキューシオ、廣瀬友祐ティボルト。

おもしろかったので2回にわけて投稿します。今回は1回目鑑賞での感想。

2回目の感想はこちら。

 

sahikoua.hatenablog.com

 

あらすじ

観てから気づきましたが、私、ロミジュリのストーリー詳細を知らなかった。

舞台は中世のイタリア、ヴェローナ。対立するキャピュレット家のジュリエット、モンタギュー家の跡取り息子ロミオが、互いの素性を知らずに恋に落ち、周囲に引き裂かれ、それでも神の前で永遠の愛を誓い、結ばれて。

両家の争いのなかでキャピュレットの甥ティボルトがロミオの友人マキューシオを殺し、ロミオは復讐としてティボルトを殺してしまう…。その罪でロミオはヴェローナから追放され、一方のジュリエットはハリス卿と政略結婚させられることに。

ジュリエットは神父の知恵を借りて「まるで死んだように眠る薬」を飲み、周囲に自分は死んだと思わせる。ロミオに「実は24時間後に目覚めるから、隙を見て一緒に逃げよう」と知らせを出して。

けれど、ロミオのもとには「ジュリエットが自ら命を絶った」ことだけが伝わってしまい、ジュリエットの亡骸を前にロミオは毒を飲み自殺。直後に目覚めたジュリエットもロミオの短刀で胸を刺し、愛する人の後を追う。

この悲劇の結末を目撃した両家の大人たちは、ついに和解。

まあこんなもんだろうという認識だったけど、意外に(と言ったらシェイクスピア大先生に失礼か…)もっと深みのある物語でした。

 

キャピュレットの孤独

キャピュレットの甥ティボルトは一族の跡取りにして、実の叔母であるキャピュレット夫人と不倫関係にあり、なおかつ若く美しいジュリエットに恋をしている。おいおい、手近なところで済ませすぎだろ…。

キャピュレット夫人はというと、「私は美しかったから、この身体を抱きたがった夫と結婚させられた。けれど本当の愛を知ったのは他の男に抱かれたとき。そうしてあなたが生まれたのよ」と、キャピュレットが実の父親でないことを娘に曝露。確かに美女で歌もうまいが、股だけでなく口もゆるゆるである。

そのキャピュレットも、酒、ギャンブル、女遊びに明け暮れて、家は借金だらけ。その負債を肩代わりしてくれるというパリス卿に、娘ジュリエットを嫁がせようとするんだけど、当然嫌がられる。そこでしっとりバラード歌うんですけど…娘が3歳のとき、血がつながっていないことに気付いて首をしめようとした、とか、それでもお前を愛している、とか…いやいやいや、どんな愛だよ、この物語のだいたいの不幸の元凶、あなたじゃない?

いや~、キャピュレット家の皆様、人生ハードモードすぎる。つらい。ミュージカルではキャピュレットのイメージカラーが紅で、愛憎劇がより印象付けられます。

 

モンタギューの葛藤

一方のモンタギュー家はどうでしょう。お坊ちゃま、ぬくぬく育ってます。お父様もお母様も息子への愛がおおらかすぎる。

ロミオ坊ちゃまにはベンヴォ―リオ、マキューシオという「ダチ」がいて、ケータイで呼び出してもケータイを見ない、街で諍いが起こってもその場にいない、女の子と過ごすこともあるけれど「本当の恋を知らない俺」に酔いしれる…背ばかり大きくなってもいまいち頼りない、一族の大事な跡取り息子の、もはや子守りをしています。

とはいえ、彼も両家の争いを失くしたいと思っているし、だから喧嘩もしたくないし、ちゃらちゃらした女遊びに乗り気なわけでもない、そんな心優しく美しく真面目なロミオ。身分を隠して訪れたキャピュレット家の仮面舞踏会で、ひと目でジュリエットに恋をして、ちゃっかりそのハートを射止め、キスまでする。あれ、坊ちゃん手早いよ、大丈夫?

ロミオは自己肯定感が高いほうの人間なんですね。自信家ではないんだけど、初めて本気で恋に落ちて、自分の思いをストレートに行動に移してしまえるし、すぐ近くでさりげなくフォローしてくれるベンヴォ―リオたちがいるから、安心してぽやぽやできちゃうんだと思う。

ベンヴォーリオとマキューシオのバランスもいい。マキューシオはちょっとヤンチャでチャラチャラしてて女の子の扱いも心得てる感じかな。仲間うちで一人はいる、新しい遊び、新しい世界を教えてくれる人。皮肉なことに、マキューシオが殺されて、ロミオはきっと初めて「憎しみ」という感情に出会う。平間マキューシオは古川ロミオ、三浦ベンヴォーリオに比べたら小柄だからか、運動量が多くてキャラが出てるなあと思いました。

ベンヴォーリオはいい兄貴。ロミオと肩を並べ、てはいるけど、その心に抱えてるもの、痛みを、自分のことのように捉えてロミオを気遣えるひと。ジュリエットの死、ロミオの死を前にしたときの、ベンヴォーリオがロミオを思いやる姿は胸に響きました。2つある、ナイフを拾うシーンとか、最後に仲間たちの肩を抱く後ろ姿とか、よかった…。三浦涼介さんはビジュアルもぴったりハマってました。

イケメン好きとしてはモンタギューが熱かったです。彼らの友情は爽やか。青のイメージカラーをまとっていて、衣裳がデニム生地ベースで、かっこいい。軽やか。キャピュレットとは対になるデザインで、うんと爽やか。

 

重ならない二人の未来

こういう、ロミオとジュリエットの恋の背景にあるものが、結構しっかり描かれているんだなあと今更知りました。しかし、知ってしまうとより苦しい。

ジュリエットと逢瀬を重ねながら、二人結ばれれば争いのない未来を築けるかもしれないと夢見るロミオ。ロミオの腕の中で、自分を純粋に、深く愛してくれる人に出会えたことを喜び、彼との恋があれば何もいらないと人生をかけてしまうジュリエット。

うーん。悲劇色が強すぎた。お互いに恋して惹かれあっているけれど、その胸の内にあるものは、お互いが見つめている先は、実はすれ違っているように思えて。ロミオは新しい感情に出会って、前に進もうとしていて、だけど「死」に囚われはじめてもいる…。「死」がつきまとうことで、彼が覚悟を持って生きられるようになったことが際立ってた。でもジュリエットは自分の境遇から逃げようとしてるだけに見えちゃう。その幼さが美しくもあるとはいえ。

それに、私も、今更、思春期の恋愛ものを見て、私も恋したい!とか、きゅんきゅんする〜!とはならない。恋だけじゃやってけないわって吐き捨てるほど、冷めてもない。

ので、モンタギューが熱かった(また言う)。彼らの絆がかなりいい。ロミジュリは若い役者さんが多い演目なのはわかってたけど、なるほどこれは熱い。ロミオ、ベンヴォーリオ、マキューシオがそれぞれWキャストなので…8パターンあるの…? それぞれ全然違う関係性になるんだろうし、いやあ熱い。

 

キャストについて

葵わかなさんのジュリエットは、小柄で純粋で、でも自分をしっかり持ってて、むず痒くなるくらいピュア。守ってあげたい、と、一緒に戦おう、の両方の思いを抱かせてくれる強い女性…なだけに、結末はいっそう悲しい。初ミュージカルとは思えない、歌うまかったし、歌声の透明感がすごかった。衣装も髪型も可愛いかったな〜。

古川雄大さんは背が高い!すらっとしてる!顔がちっちゃい!そして顔面がいい!美しい!オーラ…というのはそこまで…いや、今回の「若造」らしい、あえての役作りなのかも知れませんが、スタイルがいいとそれだけで武器になる、と改めて思わされた。舞台の隅っこにいても、あっあそこにイケメンいる!ってわかるもん。

朝チュン描写があったんですけど、これ推しでやられたら鼻血出すな…と思った…。しかもパンツ一枚でベッドから出てくる。前のシーンではけてから急いでズボン脱いだんだなあと思っちゃうし、舞台上で急いでズボンはいてる姿を見せられると、なんか微笑ましくて笑ってしまった。

男性キャストで一番よかったなって思ったのは三浦ベンヴォーリオ。優しい男だった…。女性なら葵ジュリエットもよかったけど、乳母役のシルビア・グラブさん。包容力のある声がすごく好きで、ストーリーのなかでも歌唱力でも、頼りになりすぎる乳母だと思いました。

 

時代設定について

時代設定はかなり気になったな…。近未来のイメージらしいのだけども、喧嘩するときはナイフだし、教会の懺悔の時間があったり、政略結婚してたり…。アレンジするならするで、全体で矛盾なくしておかないと、後から加えた要素だけ浮いちゃう。

「ケータイ」って言い方も、すでに古い感じがするし。ロミオは友達から連絡が来ててもケータイ気にしないし、ジュリエットはケータイ持ってないから連絡も来ないのに、街を追放されたあと、なぜかふと「はっ!ケータイがない!」って気づく。いや、いま君がケータイ気にする理由ないじゃんか、と。

 

悲劇というほど重くはなく、恋のハッピーエンドとも言えない物語。イケメンがたくさんいて、ダンスと歌が楽しくて、「死」の演出も舞台ならではで大好き。それぞれ別のキャストの公演では、また全然違うものが観れたので、そちらもまとめます。

舞台「ガンダム00」のパンフレットがすごいぞ

舞台「機動戦士ガンダム00」を観てきました。ガンダムはWとSEEDしか見ていない私ですが、この作品の脚本・演出の松崎史也さんが好きで、ガンダムを舞台でってどうするの?と思って、観てきました。おもしろかったです。

で。私はパンフレット大好き人間で、特に今回の宣伝美術担当のGene & Fredというデザイン会社さんの作品が大好きなんですね。2.5系の舞台でよくパンフレットなど制作されてて、舞台のパンフレットとして私が求めてるのはまさにこれ!というものばかりで。

今回もパンフレット欲しかったんだけど、グッズ販売が長蛇の列で、途中でその日分のパンフレットが売り切れになりました。悲しすぎる。つらい。悔しい。

ただサンプルでHPにあがっている表紙の画像だけでも、うわ、これはまた名作パンフレットでしかない!と思ったので、それについて書く。パンフレット持ってないのに…。

www.gundam00.net

このHPのトップにあるメインビジュアルを見ていただくとわかると思うんですが、緑側が主人公たちガンダムパイロット(本作ではマイスターと呼ぶらしい)。赤側が、敵(ガンダムは敵味方の線引きができないのがおもしろいところですが便宜上)。

ガンダム・マイスターたち4人のイメージカラーはロゴにも入ってて、なんかバランス悪いな?っていうのが舞台観るまでの印象でした。舞台観て納得したのは、赤が敵側のカラーになっていて、今作で闘うラスボス的存在が右上の赤っぽい人なので、VS赤で仕上げてるんだな、と。

 

 

こんな感じで、2.5舞台だと特に、もともとのキャラデザでみんなカラフルなので、ステージの見た目がすごくカラフルになります。

原作が好きで舞台を観に来る、という人が圧倒的に多くて、原作の世界観が舞台=3次元でどれだけ再現されるかを、ある意味で品定めするのが2.5舞台なんですね(あくまである意味で、ですよ)。

ゆえに、2.5舞台におけるパンフレットの表紙は大まかこんな方向性です。

 

・キャラのビジュアルをしっかり入れる
・色、モチーフなどでその作品イメージを前面に押し出す
・作品のロゴを大きく入れて「いかにも」に仕上げる

 

同じ会社の方々が出かけている他作品のパンフレットは、例えばこちら。

 

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www.nelke.co.jp

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www.tennimu.com

 

2.5らしさを貫いている。これはこれでもちろん素敵だなと思います。

ただ、私が舞台のパンフレットに求めているものは少し違くて。いや、違うって言いきっちゃうと、違うんだけど。これもこれで好きなので、好きなんですけど…。

原作のイメージありきでなく、もう少し、違うアプローチができるとしたら、の話で。舞台って形に残らないものだから、劇場で表現された世界観、客席から五感で感じたなにかっていうのを、なんとか紙に詰め込んだものがパンフレットであってほしいと思っています。そして、あくまで舞台のパンフレットなので、原作に引っ張られすぎなくていい。パターンとしては、

 

【テーマの補完】
舞台で描いたor描ききれなかった人物の心情や、物語の背景を補完する

【舞台美術を楽しむ】
舞台で視覚的に見せた世界観を、紙媒体で再現する

【世界観の提示】
舞台では直接的に表現せず、イメージさせるにとどめた世界観を明示する

 

といったもの。これについてはまた後日書きたいです。

 

 

さて、ガンダムのパンフレットがこちら。右側が表紙、左側は中面サンプルです。

 

モノクロ!!! キャラ1人だけ!! ロゴなし!! 「ガンダムっぽさ」「2.5っぽさ」の排除!!

びっくりしました、これ。なにこの、表紙に漂う穏やかな空気。ライフスタイル系のおしゃれな雑誌みたい。

これ、先に挙げたパターンのなかでは、「舞台で描いたor描ききれなかった人物心情や、物語の背景を補完する」、つまり、物語のテーマをびしっと提示するものだと私は捉えました。

原作のイメージとか、キャラクターありきでなく、そもそも「何を描いた物語なのか」から着想しないと、たどり着けないデザインだと思う。

 

舞台上では、本当にモビルスーツで闘っているかのようなスピード感、迫力、と同時に、「そのコックピットには、生身の人間がいる」という重さ、が、見事に表現されていました。まさにガンダムらしい。

そしてもうひとつ、私がガンダムという作品で重要だと思っているのは、ロボットもの、戦争もの、というアクションを通じて、人間たちの苦しみ、葛藤、夢、希望、絶望…生き様を丁寧に描いていること。

舞台上で描かれたのはアクションという「動」の部分。そして、パンフレットでは人の思いという「静」を表現したんだと思います。それぞれのメディアに適した表現を選んで、舞台とパンフレットどちらも楽しむことで、舞台ガンダムという作品が完成されるんです。

シナリオがかなりの詰め込み具合だったので、私はもう少し人間ドラマが深掘りされてたらいいなって思っていた。そしたらこのパンフレットですよ。

 

舞台上はあれだけカラフルだったのに、色のない世界で、まだ何の色にも染まっていない彼は、いったい何を見つめているのだろう? その胸には、どんな思いがあるのだろう? 彼は、どんな道を歩んできた人で、これからどこに向かおうとしているのだろう? …そう、想像を掻き立てられませんか

彼が見つめているのは、彼と運命をともにするガンダムなのか、宇宙に浮かぶ地球なのか、それとも地球から、はるか宇宙を見上げているのか…パンフレット見てませんのでわかりませんが!!!

でも、舞台を観たあとに読んだら、ぜったい舞台がよりおもしろく感じられる、ことが、表紙からわかるパンフレットである。欲しい~!!!!

 

 

あと、おそらくですが、客席には男性も多くて年齢層がいつもの2.5より若干高めだった印象で、男性客にも手に取ってもらいやすい路線を目指したのかな、とも思いました。

今作のサブタイトルが「破壊による再生 Re:Build」とあるように、ゼロからまた始める、ピュアなイメージを押し出したのかな、とも。ちょうど作品のカラーである緑はクリーンな色だし。

中面のキャラクター紹介で、パイロットスーツ姿と私服で逆さになっているのは、おそらくキャラクターたちがそれぞれ抱えている二面性(出自を隠してる、とか)の表現なんじゃないかな。これは封神演義のコミックス表紙で唸ったやつですね。いや~、いい。めちゃくちゃいい。

ただ、私、この表紙が成立した最大の勝因は「橋本祥平くんの顔の良さ」にあると思う。この主演の男の子ですね、めちゃくちゃ顔が綺麗なんですよ。骨格が綺麗で、ついでにおでこの生え際のラインも綺麗です。この横顔見てたら、この写真で勝負したくなるよな~と思いました。

 

 

舞台観るのも楽しいけど、パンフレット見るのもめちゃくちゃ楽しい。取り急ぎ、「2019年イケてる舞台のパンフレット」暫定1位は舞台「機動戦士ガンダム00」に決まり!

 

『劇場版シティーハンター』がラブすぎる

 

『劇場版シティーハンター 新宿プライベート・アイズ』観てきました!!!!

先週まで3週連続『映画刀剣乱舞』を鑑賞していたので、少しずつ長くなる『劇場版シティーハンター』の予告編にわくわくしていました。ぶっちゃけ『映画刀剣乱舞』本編より、予告編で、冴羽獠が回し蹴りをしながら流れてくる『Get Wild』のほうが心躍った。イントロが流れてくるだけで鳥肌が立つ。そして神谷明さんの声がかっこよすぎる…!!

予告編だけでもドキドキしたけど、本編もすっごく楽しかったので、感想をまとめました。完全にネタバレですのでご注意ください。

cityhunter-movie.com

 

映画のちょっと不満なところ:すべてが雑

まあもうあの、お祭り映画なのでね。とは思いつつ、それでもなあっていう細かい不満とか気になるところを先に。

 

・ストーリーが雑でテンポも悪い

上映時間あと10分長くていいから、ここで3セリフ分くらい足して感情深掘りしてほしいなあ…って何回思ったかわかりません。長年のファンへのサービスだなあ、というのはわかるもののストーリーに一切関与しないシーンも多々。


・キャラがストーリーのために動かされてる

どうにかしてストーリーをこうして、で、こういう絵を見せたいんだなあっていうのは、わかる。が、いやそんなミスしないでしょ、そんな無謀なことしないでしょ、そんな理由でこんなことやっちゃうんかい我、みたいなのたくさんありました。


・対人の戦闘シーンが少なくて、緊張感も半減

私、冴羽獠のかっこいいところって、パイソン…?ちっちゃい拳銃で的確にポイントを狙い撃つスマートさだと思うんですね。大暴れしないで「そんなピストルで?」って笑われながら倒しちゃうところが凄腕たるゆえんだと思う。ので、まあ今回もかっこいんですけど、クライマックスでメカ相手にしてるより、途中のゴールデン街でドンパチやるシーンのほうがクールだった。


・敵キャラがザコい

神谷明 vs 山寺宏一だからね、楽しみにしてたよね。敵キャラのいいところはね、声が山寺宏一であること、以上。ただこの山寺宏一が連れてる男がですね、彼は一部のオタク(♀)の性癖に相当刺さると思いますね。出てくるたびに、オタクの性癖に刺さる顔してんな~としか思えなかったです。


・海坊主がギャグ要員

武器がひと種類しか登場しないです。かっこいいっちゃかっこいいシーンもあるけど、あの図体でけっこう可愛いのね、みたいな立ち位置になっていた。あと冴子もかなり控えめです。


・違和感しかない挿入歌と三姉妹

しばしば唐突に主題歌たちが挿入歌として流れます。せめて歌なしじゃダメだったのか…。思い出補正があればかなり違うと思いますが、シーンに合ってなくていまいち没入できない。そしてキャッツ・アイの三姉妹が登場、嬉しいけどほぼ活躍しません。出すなら出すでもうちょっと動いてほしかったな。ただ、ルイ姉にやられた人はたぶん死んでる。

 

細かく言うともっといろいろあって、けしてクオリティが高いとは言えないなっていうのが正直な感想ですが、それを補って余りある楽しい映画でした。

 

映画のすごくよかったところ:ひたすらラブい

よかったところはもうあの、冴羽獠と香のラブストーリーとしていいところを挙げますね。もうね、ラブかったの…。誰か語彙力をくれ。

そもそも私、冴羽獠と香は、お互いを守る・背中合わせみたいな完全なるバディではないんだけども、冴羽獠が香のことを女性としても魅力的だと思っているし、相棒としても信頼しているってところが好き。それでも「守り守られ」より絶対的「守るべき存在」として扱ってくれるところが女性目線で最高に男前だよね。ああ好き。

漫画では出会って最初の頃は香相手にももっこりしてるのに、次第に表面的には女扱いしなくなる、という流れがいい。自然現象ではなく冴羽獠の意識と覚悟の問題だからね、かっこいいよね。

 

・ラブに集中させるための依頼人、恋敵

ストーリーとキャラ設定が荒すぎるのが難点だなって思ってたんですが、そのぶん私はラブに集中できたのでよかったかもしれないです。

通常、依頼人の美女に冴羽獠がもっこりするけれども、今回は成人済みとはいえ子供すぎたし、冴羽獠に対して「かっこいい」ってなる瞬間が0.5秒くらいしかないし、最初から最後まで冴羽獠と香の関係をおちょくる、冴羽獠にはっぱをかける。冴羽獠もさすがに大して動揺しないんだけど、ひるまずチャチャを入れてくれる。いいぞ偉いぞグッジョブだぞ!

実は香の幼馴染でしたっていう、山寺宏一の声の人も、声が山寺宏一である以外にまったく強みがない。ただね、彼ね、すごくいいのがね、よくある「主人公を出し抜くためにヒロインに言い寄るキャラ」ではないんですよ。冴羽獠ありきでなく、純粋に香に言い寄ってるの。これもまたこれで思考回路はバカだけど、ストーリーの本筋とラブ方面でごっちゃにならず、それぞれで冴羽獠を敵視しているのがよかった。君もいい仕事したぞ。

 

・信頼関係をより熱く見せる演出

これはたぶん意識してつくってないと思うけど、冴羽獠の登場シーン、ちゃんと香とふたりで仕事してるのがよかったですね。これが今回のテーマなんだろうなって思った。このふたりの関係にフォーカスしますよっていう。

 

途中、ふたりは離れてしまうのか?と思わせる演出だったのかな?って思うシーンがあって。香が他の男のところに行っちゃうかも~みたいなのは、正直いまさらすぎて冴羽獠含め誰も動揺しないわけですけど…。決戦前夜、冴羽獠が長いピストルの筒を(知識なくてごめんなさい)、糸鋸?で短く切り落としているところ、後ろから香が「私、山寺宏一のところに行くわ」と声を掛けます。
私は、声を掛けられたとき冴羽獠が手を止めると思ったんだけど、彼はそのまま糸鋸を引いて銃口を切り落とすんですよね。香を振り向きもせず。

「バラバラになる」銃でふたりの距離が「離れていくこと」を示すっていうのを、ミスリード…として入れたのかな、とも思ったけど。冴羽獠が動きすら止めなかったことで、逆にふたりの信頼感が伝わってくるシーンだなって感じました。

 

あとはクライマックス、高層ビルの窓際でヒロインに銃を突きつける犯人 vs 主人公という、これも100万回見たシチュエーションですが、香がそれで助けられちゃうだけだと、違うんですよねシティーハンターは。冴羽獠と香のあいだには信頼しかないのでな…。お約束のところでお約束を守る男・冴羽獠がさらっと放つ一言が、さらっとしすぎてるんですけど、かっこよすぎるね。

 

Get Wildまでの約束されたかっこよさ

本編は、予告編の時点でわかること以上でも以下でもない感じ。美女の依頼受ける。もっこりする。ばたばたする。ドンパチする。解決する。キザいことを言う。Get Wild流れる。というだけのことです。この型すら懐かしいし落ち着くし愛しいよね、もう。かっこいい冴羽獠からかっこいいGet Wild、いかにバトンを渡すかを観に行ってる感じすらある。

でさ、始まって20分くらいかなあ、冴羽獠の台詞でさらにオチの展開というか台詞までわかるんだけど、こう、「きっとこう言うだろう」って台詞があって、そこから絵が引きになって、そこで流れるGet  Wildをね、心の準備しながら60分くらい待ってるわけじゃん。本当に来るじゃん。それがね、いいよね。「よっ!待ってました!」っていうね。

ただ、わかってた台詞なのにね、私が予想した8割増しでかっこいい言葉で、あれは言うと思ったけど、それも言う!?みたいな。ああああああああ~~~~~~~~!!!!ってもうにやけ止まらなかったですね……。ときめきすぎて瞬間的に頭が沸いてしまって台詞ちゃんと覚えてない。もう1回聞きたい。自宅で見てたら頭抱えてごろごろごろごろしてました。あーーーーーーーーーー……かっこいい。

 

・エンドロールはスタッフからのプレゼント

ラストの台詞、めっちゃくちゃかっこよかったんだけど、そのあとのエンドロールがね、Get Wildじゃん。いやGet Wildなことはわかってるんだけど、そこでね、なんだろうあれは、アニメシリーズのエピソードを抜粋してね、流してくれたんですけど、それがもうあの、冴羽獠と香のときめきメモリアルだったので、ときめきと切なさともどかしさと、そして冴羽獠の煙草を持つ手がセクシーすぎてね、頭おかしくなるかと思いましたね。

スタッフさんたちからね、20年越しの、冴羽獠と香へのプレゼントなのかなあって思いました。このあたりは『名探偵コナン から紅の恋歌』を観たときと近しい感情かもしれない。

映画館を出たあとはGet WildではなくKinKi Kidsの『シンデレラ・クリスマス』という曲を頭の中でエンドレスリピートしました。「普段着のままの君 愛してるよ」というフレーズを香さんに贈りたい。ていうか言って!冴羽獠が自分で言って!声を大にして言って!

 

 

冴羽獠と香について、仕事のバディとして、人生のパートナーとして、っていう2軸それぞれの信頼関係と愛情を存分に見せてもらった作品でした。私は三角関係で焦るわちゃわちゃとか好きだけど、そこは大人の男・冴羽獠ですよね。

最近、何事においても純粋に強くて、心に決めた女性に対しても揺れ動かない系の男子、いないじゃん? 3次元では知らないけど、もう何年も恋愛漫画読んでないので、私の世界にはいない。ああいう断固たる覚悟っていうのは素敵ですよ。かっこいいですよ、もう。

 
あとは、シティーハンターといえばの「新宿の伝言板。現在っぽくアレンジされてて、依頼人も「まさかね…」なんて言ってるところで、あの当時と現代がつながって、わくわくしました。XYZで始まり、XYZで終わる。最後に「XYZ」と書かれたことで、それは映画の「終わり」であり、また次の事件も「始まり」も意味してる。く~~~~!!!!はやくもう1回観に行きたい!!

舞台オタクの観劇七つ道具

名探偵コナンの劇場版をいくつか見ていて思ったのが、コナンくんの「探偵七つ道具」も時の流れとともに変化してきたなあ、と。映画ではおなじみのスケボーも、昔はソーラー式で日が暮れると使い物にならなかったり…懐かしい。

というわけで、今日は私が舞台を観に行くときの持ち物をご紹介しようと思います。珍しいものは一切ないけど。アイテムを選ぶ基準は「オタクっぽく見えないこと」!でも友人にこのブログを見せたら一言「すげぇオタクっぽい」と言われてしまったよね。

 

★基本の観劇七つ道具★

① クリアケース
② ボールペンと封筒、一筆箋
③ 大きめのポーチ、または小さめのトートバッグ
④ チケットホルダー
⑤ ハンカチ2枚
⑥ リップクリームと目薬
⑦ オペラグラス

 

① クリアケース

パンフレットやチラシ、ブロマイドなどを綺麗に持ち帰るための必需品。戦利品が雨で濡れたり鞄の中でぼろぼろになったら泣ける。オタクならきっと一度は経験あるはず。
グッズでトレーディング缶バッヂとかトレーディングブロマイドが出ているときは、トレーディングするためにクリアケースに品を並べて他の方にお声掛けしたりします。

 

② ボールペンと封筒、一筆箋

推しにお手紙書く用に便箋持ち歩いてる人もいると思う。私はチケットやグッズの交換していただくとき用に封筒、一筆箋程度を持ち歩いている(こともある)。
あと、公演アンケートとか円盤予約のためにボールペンも。アンケート用紙は配ってくれてもペンがないことも多いし、あっても短いプラスチックの持ち手の鉛筆とか。あれ不便なので、アンケートに惜しみなく感想を書きなぐるために自分のペンを持っていきます

 

③ 大きめのポーチ、または小さめのトートバッグ

クリアケースとか防寒具も入れるから、観劇のときは大きめの鞄が必須。私は鞄は基本的に足元に置くので、上演中に手元に持っておきたい物、④チケットホルダー ⑤ハンカチ2枚 ⑥リップクリームと目薬 ⑦オペラグラス、あとケータイを、ポーチとかトートバッグにまとめてます。
膝の上に置いておいて、上演中に落として音が鳴るのも嫌だし、ケータイは「アラームオフ」「着信音オフ」「機内モードに設定」「電源オフ」の鉄壁の守りを決めてるけど、万が一のときに鞄をごそごそするのも迷惑なので、すぐに手に取れるように手元に置いてる。

 

④ チケットホルダー

これはどこかの美術館で買ったモネの睡蓮のデザイン。舞台とか俳優さんのグッズでチケットホルダーも売ってるけど、私はこの、どこからどう見てもオタクぽくないおしゃれなモネを愛している。
直近で見終わったチケットの半券と、当日含めこれから見るチケットを入れてます。これを失くした場合の損失は10万円は下らないのでめちゃくちゃ貴重品です。

 

⑤ ハンカチ2枚

1枚しか持ってこなかったときの絶望は半端ない。1枚は普通に手を拭く用、もう1枚が上演中に手元に置いておく用。わりとよく泣くので涙を拭くこともあるし、咳とかくしゃみしそうなときには少しでも音が小さくなるように押さえる。
これしない人がものすごく多くてイラつくんだけど、普段あまり観劇しない人なんだろうな…。開演前に膝にハンカチ出してる方は、舞台慣れてるんだなっていう印象を勝手に持ちます。
ちなみに写真のハンカチは、1枚は同担さんにいただいたもので、1枚は推しが出る作品に関連する企画展をやっていた美術館のミュージアムショップで買った、その作品っぽいな~と思ったデザインのもの。お気に入りだけどさすがにヨレヨレになってきた。

 

⑥ リップクリームと目薬

開演1分前くらいに、観劇における最後の気合い入れくらいの感覚で目薬を点すけど、それ以外はどうしても目が乾いたときに使うくらい。たまーにだけど泣きすぎてコンタクトが取れるとか、推しを凝視しすぎて目が乾くとかはある。というか観劇終わりって基本的に目が乾いている。
この目薬を点す行為とかも、たぶん隣とか後ろの人からすると邪魔だと思う…。できるだけ使うことがないほうがいいアイテムだけど、やっぱり万が一のときに鞄ごそごそは迷惑すぎるので手元に。

 

⑦ オペラグラス

会場の広さとその日の座席、その日の気分によっても使ったり使わなかったり。どうしても見たいところがあれば5列目でも使うし、全景を楽しみたいときには最後列でも使わないし。
昔は父親が野鳥観察用にしてる望遠鏡を使っていたんだけど、どうしてもオペラグラスを使いたい日に忘れたため、急ぎ秋葉原で購入したのが写真のもの。いろんなカラーリングがあったなかで、その日はテニミュ氷帝戦を観戦予定だったため、氷帝カラーのものを選びました(青学OGなのに)。
一応オペラグラス用にメガネクロスも持ち歩いていて、これもモネの睡蓮のデザイン。

 

 

★おまけ★

私はキャラクターグッズとかあまり集めないほうですが、キャラクターのイメージカラーとか、舞台のテーマに近いモチーフのアイテムを取り入れたりはめちゃくちゃします。

 

① 舞台『ダイヤのA』シリーズ

野球のお話なので、野球ボールデザインのトートバッグ、野球ボールのピアス、「甲子園の空」を思わせるような青空の腕時計。これで「主人公の高校のOG」みたいな気分で劇場に行く。

 

② 舞台『弱虫ペダル』シリーズ

自転車モチーフはあまり見つからなかっただけなんだけど、とあるキャラがイギリス留学したのでロンドンモチーフ。ライバル校が箱根にあるので箱根の寄木細工の、山のストラップ。これはさすがにわかる人にしかわからなさすぎる組み合わせ。

 

③ スマホカバー

ケータイのカバーはだいたい3カ月くらいで変えるけど、これもその時期に多く入る舞台のイメージに近いものを選んだりしています。
推しのキャラのモチーフが桜だったとか、制作会社の名前が「ひまわり」だったとか。一番左は、めちゃくちゃ好きだった舞台の、めちゃくちゃイケてたパンフレットのデザインがこういう感じで、似てる~!と思って即買った。

 

④ ポーチ

「2」というのはつまるところ私のすきなキャラクターの背番号だったりゼッケン番号だったりする数字ですね。これMHLなのでまさかそんな理由で選んでるなんて思われないでしょ!?おしゃれな人っぽいでしょ!?バリバリのゴリゴリでオタク趣味。
もう一つは言わずもがな2015年のセーラームーンのグッズだったもの。かわいすぎるしセーラーウラヌスモチーフが入ってるのが嬉しくていまだに使っている。

 

⑤ フリクションボールペン

仕事で使ってたのでかなり色あせてますが、とあるゲームのコラボで出てたフリクションボールペン。そのとあるゲーム原案の舞台に推しが出るってなったときに、ゲームにも推しのキャラにもまったく思い入れがなかったので、公演までにこの世界観に少しでも馴染もう!と思って買ったもの。
推しが出る!舞台行く!推しのキャラをすきになりたい!とかいうだけの気持ちで、ゲーム一切やってないのに、興味もなかったのに、グッズ買ったりするんですよ。オタクめちゃくちゃいじらしくない?

 

⑥ 扇子

扇子は20歳くらいの頃から代替わりしながらずっと使っているんだけど、2018年の新入りが水色と黄色のミモザ柄。まず水色と黄色の組み合わせが私的に良くて、さらにミモザは私の推しの誕生花なので人目見た瞬間にポチった。
私の推しの俳優さんは誕生花なんて興味ないと思うし、そもそもいろんな説があるものだけど…私は友人からミモザ説を教えてもらって以来、ミモザを愛している。

 

オタクの持ち物は「ときめき」にあふれている

どんな作品でもってわけではないんだけど、特に2.5次元化するような漫画作品では、キャラクターのモチーフ、番号、イメージカラーなどが設定として存在することが多い。

ゆえにカレンダーを見れば「毎日がお誕生日」どころか「●●くんの背番号の日」だし、色を見れば「●●くんのイメージカラー」。

そういう「自分だけのお気に入り」で身の回りの持ち物がいっぱいになると、たまらなく幸せ。

金欠限界…観劇オタクのお財布事情

観劇を趣味にしていると、チケット代を支払うタイミングと、そのチケットを使うタイミングが数か月ずれるので、自分が一体いくらお金を使っているのか、まったくわからなくなります。

ズボラな私は観劇録みたいなものもつけていないので、自分が1年に何回舞台を観ているのか、いくらかけているのか、一切把握しておらず。

今年はきちんと家計簿をつけよう!と思って手帳に使ったお金を日々メモしていました。1カ月も続くなんて生まれてはじめての経験です(やばい)。それでもすでに計算があわないし何に使ったかよくわからない金がある(こわい)。そしていま、2019年1月の出費をまとめ終わりました。

いや~、観劇ってお金がかかる趣味だよな~と思ってはいた。しかも昨年の秋に派遣の事務員に転職したため、冗談でなく年収が5割減になったのですが、にもかかわらず正社員時代のノリでお金を湯水のように使っていたら、とんでもなくとんでもないことになっていた…ということに、いま、気づきましたね…いま…。

私、ツイッターでよく見る「限界オタク」じゃん…自分の金遣いの荒さにびっくりだよ…。あまりにもびっくりしたので大まかに出費を明かします。

 

★2019年1月出費の内訳★
オタク的な活動費      78,000
美容・ファッション・日用品 22,000
飲食費           20,000
 うち、人との食事     16,000
交通費           13,000
勉強代           12,000
文房具など備品系      6,000
交際費           3,000
諸経費           2,300
納税            120,000
合計            書きたくない

 

これ単位がウォンだったらいいんだけど円です。日本円です。まじかよ。私は時給1000円で働いている派遣社員なので月の手取りは13万?14万?とかです。まあ納税がでかいのでね、それを除けば±0なんですけど。オタク的な活動費やばいでしょ。生活圧迫しすぎ。やば。

でも、これでも相当に節約してるんですよね、オタク的な活動費については。オタク的な活動費っていっても、

 

★2019年1月オタク的な活動費の内訳★
「ウルトラヒーローズEXPO」当日券
レ・ミゼラブル」チケット4枚
どろろ」発券手数料
「SHIRANAMI」パンフレット
封神演義」パンフレット
トゥーランドット」パンフレット、台本
「映画刀剣乱舞」パンフレット、シナリオブック
「映画刀剣乱舞」大展覧会グッズ
雑誌「TVガイド Stage Stars」
ダイヤのA」単行本15巻

 

だけ!!!だけなの!!!!!!

まず、観劇チケット自体の代金が4枚分しかない。ひと月にチケット4枚分しか支払いがないなんて、めったにない。平均したら月4回以上は舞台観るので。雑誌も「映画刀剣乱舞」関連書籍もすごーーーく我慢したので、相当に抑えられている。それでもこんなにお金かかる…。

とはいえ、レミゼは4月5月のチケットなんですよ。3カ月も前に払ってるなんて偉い!と思うじゃないですか。4月5月には7月8月のチケ代を払うことになるだけなんですよね。抜けられない!永遠に抜けられない、チケット先払いの呪縛!!!

ちなみにいまは抽選結果待ちの公演が5つ以上あり、欲しいだけチケットが当たっていたら2月上旬の2週間の間に10万以上引き落とされることになります。こわい。それが日常になっている私含めた観劇オタクの金銭感覚がこわい

うーん、いったいどれをどれだけ削れるだろうと考えると、

 

オタク的な活動費:むしろ減らしようがない
美容・ファッション・日用品:新しい服を買わない
飲食費:職場にできるだけご飯を持っていく
交通費:1月は深夜退勤が多くてタクシー多用したので仕方ない
納税:しばらくないので良しとする

 

という、感じ、かな…。レミゼラブルを観るためにパンの一切れすら買うのをためらう生活だよね。まさしく「ああ無情」…。

でも舞台って、芸術鑑賞・エンタメ消費として楽しいのはもちろんなんだけど、最初に書いたように「チケット代を支払うタイミングと、そのチケットを使うタイミングが数か月ずれる」。

ので、いざ舞台を観るときは、なぜか手元にチケットがあり、それを渡すと入場できる「実質タダ」という錯覚に陥る。錯覚である。でも基本的に当日にお金払わないんだもん…。そして私は「今日もタダで素晴らしい舞台を観てしまった…」という感動で満たされて、またチケットを買い漁る。

 

★2019年1月のイベント・観劇★
ウルトラヒーローズEXPO
「ミュージカル封神演義-目覚めの刻-」
音楽活劇「SHIRANAMI」
少年社中「トゥーランドット~廃墟に眠る少年の夢~」
「映画刀剣乱舞」大展覧会
「映画刀剣乱舞
アニメ「どろろ」1話~4話
×体調不良で観劇断念:舞台「画狂人北斎

ミュージカル「封神演義」は誰が語る誰の物語か

ミュージカル「封神演義 -目覚めの刻-」を観劇しました。

 

musical-houshin-engi.com

 

漫画「封神演義」といえば説明不要の名作ですね。物語のおもしろさに魅了されたのはもちろんですが、私はこの漫画のおかげで「作品について考察する」楽しみを知り、漫画を一つの文化として尊重すべきという考え方を持つようになりました。人生で大切な漫画ベスト3にランクインする大好きな作品です。

2.5次元系の舞台を観るオタクには常に「大好きなあの作品が舞台化するのは嬉しい、けど出来が悪かったらどうしよう、クオリティは高くても自分好みの仕上がりじゃなかったらどうしよう」という不安がつきまとうもの。私も不安を抱えていましたが、演出の吉谷光太郎さんは好きな演出家さんの一人で、主演の橋本祥平さんはとにかく顔が強い、美人――この2点に期待をかけていました。

感想を簡潔にまとめると「ミュージカルとしての満足度はそこそこ、舞台としての魅せ方がおもしろかった、完結まで見届けたい」というところですね。そして私は今回ミュージカル版を観たことで、封神演義」とは誰が語る誰のどんな物語なのか、ということを再発見できました。そういう意味で、原作ファンであれば観ておくべき作品だと思います。

 

今回は、

というトピックにわけて、ミュージカル「封神演義」が漫画「封神演義」をどう再構築したのかという解釈と、私はミュージカルを観たことで「封神演義」をどう再発見したのかという感想を書いていきます。

あくまで私なりの作品観であって、まったく違う見方をしている人のほうが多いことも知っているし、基本設定として違うっていうことも理解はしているけれど、作品というのは観客の目に触れた瞬間から、観客一人ひとりのなかで育っていくものですから。あくまで私の感想なので、ご了承ください。

 

【1】私にとっての「封神演義とは」を改めて考える

私は「封神演義」を、太公望という人の孤独と傲慢と優しさと懺悔と希望の、静かに深く沈み込む伝記だと思っていました。これは改めて考えても間違いではないんだけれど、リアルタイムで読んでいた当時の印象は少し違ったな、ということを思い出したので、最初にまとめておきます。

封神演義」はとても不思議な作品で、序盤から「封神計画」「打倒妲己」「仙人のいない人間界」そして「歴史の道標」という、物語のゴールを示す明確なキーワードは登場しているのに、その意味するところはなかなかはっきりしない。いや、どの「●●編」でもこれらの目標は提示されて、そのために一つひとつ試練をクリアしているのは確かなんだけど、あまりにめまぐるしく物語が動いて、かつ常に「この先で何かある予感がする」のに全く予想ができないという不安感・期待感に満ちていた。当時私がまだ小学生だったから先が読めなかったというのも大きいと思うけど。
そして、中だるみもなく、長編と長編の間の「休憩回」みたいなものもほぼなく、次々と物語の舞台が動いてストーリーが走り続けるので、気づいたら終わっていた。ギャグに振り回され人間ドラマに涙し個性的なキャラクターたちに心ときめかせていたら終わってしまった。ずっとわくわくドキドキしながら読んでいた。そして最後に残ったのはこれ以上ない幸福感であり、太公望を恋しく思う喪失感でもあった。この喪失感が私には重すぎて、冒頭のような感想を抱くに至る。

封神演義」は、終わらせるために始まった物語で、始めるために終わらせる物語だった。はじめから「消滅」に向かっていた。それが私には苦しくて、今でも苦しくて、苦しいって気持ちをずっと引きずってしまっていたけれど、「終わるまでは」この物語はどこにたどり着くんだろう、何を成し遂げるんだろうっていう、希望をみんなが抱いていたんだった。ここまでですっかりどシリアスな気分になっているのですが、あの漫画は9割がギャグだよね。そのふり幅もつくづくすごいと思う。
ミュージカルではこの「楽しさ」が存分に味わえました。最近では珍しい、映像を使わない演出で、いろんなことを人間と小道具、照明、音の力で見せてくれたり、ギャグありメタネタあり(キャストいじりあり)。ミュージカルなのもその「ワクワク感」を増してくれていたなと。

ついでに、私はこの物語の終焉ののちに私が生きる現代があると思っていて、漫画「封神演義」を現代より未来のSFとは捉えていません。理由は初めて読んだときにそう思ったからっていうだけですが、いま自分が「導なき道」を歩んでいると思いたい。

 

【2】太公望はなぜ、主人公になりたがらないのか

さて、漫画「封神演義」は、終わってみれば太公望(伏羲)自身がシナリオを描き、太公望がそれを演じてみせた物語であったと言えると思う。作中、太公望はしきりに「主人公らしくない」といじられるのだけど、彼の行動自体は紛れもなく「主人公たる英雄」だ。ちょっとジャンプのバトルものの王道主人公とは違うだけで。そしてすべての道筋を描いた張本人である。

その彼はなぜ自分を主人公らしからぬキャラクターとして立たせたのか。私がこれについて考えたのは、ミュージカルで太公望を演じる橋本祥平さんがパンフレットで「太公望は主人公なのにすごく強いっていうわけでもなく、どういう魅力があるんだろうって考えてて、すごく強かったりするわけじゃないことが、逆に魅力なのかな」(すごく意訳)という発言をしていたから。

太公望が自分一人で物事を成さない(ようにしている)のは、彼は、いつか自分が仲間たちと一緒にいられなくなる存在だとわかっているからなんだろうなと私は思う。もちろん太公望(×伏羲)はそんなことわかってない、けどわかっている。だって王天君が「魂がそう言ってる」みたいなこと言ってたし、魂がわかってるんだと思う。

漫画「封神演義」において太公望(伏羲、王天君)は、シナリオライターで、黒幕ですらあり主人公=英雄ではない

ちょっと脱線すると、太公望は自分(伏羲)たち始祖の介在しない未来をつくろうとしていて、自分がいなくなったあとに自分がいないからこそ輝く世界をつくるために、自分についてきてくれ、そしてみんな消えてくれと(直接ではないが)、(女媧含む)仲間に言わなきゃいけなかった太公望の気持ちというのが、彼は初めから、自分がいなくなったあと、導なき道を見据えて、生きてきたってことが、私には苦しくてたまらないです。

 

【3】舞台化におけるテーマを紐解く4つの違和感

ここまでを前提として、ミュージカル「封神演義 -目覚めの刻-」を観劇したときの4つの違和感から、ミュージカルが描いていた(描いていく)ものについて考えてみます。

①敵味方関係なく回し読みしている謎の「本」

「封神の書(リスト)」(巻物)ではない「本」(網代綴じ風)は冒頭から登場しました。世界観の説明パートで(現時点での)敵味方関係なく、いろんなキャラが本を片手に歌います。誰もそれについて触れないし、最初は「え、なにそれ、漫画にそんなのなくない?」と思ったけど楊戩が手にしたときちょっともうジーンと胸に響いて勝手にピンと来てしまった。ラストシーンというかカーテンコールの最後には、太公望までもが本を手にし、舞台中央に置いてはけていきました。

 

ストーリーテラーに徹しない申公豹

申公豹は漫画では、太公望といつか対決するのでは?という雰囲気を醸し出しておきながら一向にその時は来ず、いまいち立ち位置のわからぬままストーリーテラーとしての役割をしばしば担っていたキャラクターです。私は舞台では彼が完全にストーリーテラーとして話をまわしていくものと思っていたので、ちょっと意外でした。

 

③バリバリ主人公っぽい太公望

劇中でも「主人公らしくない」と言われるものの、ミュージカルの太公望はバリバリに主人公です。一幕ではvs申公豹やvs妲己、蠆盆などのイベントが目白押しで、二幕もvs九竜島の四聖、vs聞仲でしっかり見せ場あります。というか太公望めちゃくちゃかっこいい。顔もいい。

 

④やたらと匂わせをする妲己ちゃん

漫画でも「歴史の道標」というキーワードは初期から登場するのですが、ミュージカルではわずか3時間弱の間に、たぶん3回くらい出てきたと思う。妲己ちゃんがよく口にしていた。確かに漫画はこの伏線を張っていたことによって、物語が迷子にならず完結することができたと思うけれど、やたら「歴史の道標」発言が多いな、という違和感。

観終わった直後は、妲己ちゃんにところどころ匂わせさせず、ストーリーテラーは1幕2幕通して申公豹だけに統一したうえで、最後に妲己ちゃんがチロっとメタいこと言ったらゾクっときたのにな~なんて妄想していました。

 

【4】ミュージカル「封神演義」は、誰が語る誰の物語か

いきなり別の作品の話をはさんでしまうと、舞台「刀剣乱舞」という作品で「物が語る故、物語」というセリフが頻出します。これの意味するところは置いておいて、ふと「ミュージカルの封神演義は、誰が語る物語なんだろう」と考えたら、違和感がすっきりしました。

まずミュージカルでいきなり登場した「本」は、「歴史の道標」であり、記録としての「封神演義なんだと思う。もちろん舞台ではそのイメージを本の形で表現しているっていうことだけど。

敵味方関係なく誰もが共有している(してしまっている)「歴史の道標」。妲己ちゃんがやたらと匂わせていたのも、この物語は「歴史の道標」のシナリオに沿って進んでいきます、みたいな前提の共有なのかなと。

そして楊戩がこの本を手にしているのを見て、これは女媧の書いたシナリオで、かつ、いつか「封神演義」として楊戩たちが残す、太公望の戦いの記録なんだと思って、冒頭からうるっときてしまった。

太公望(伏羲)という話の導き手を排除してみると、太公望は主人公然としているべきで、妲己ちゃんは倒すべき敵になる。しかし妲己ちゃん、漫画に比べて狂気の演出が弱いというか、ひどく理性的に行動しているように見えるんですよね。全然不気味じゃないし怖くないし、「妲己を倒す!」となっていてもラスボス感がない。かつ彼女が「歴史の道標」の存在を強く意識していたことで、太公望を見守っている」ように私には見えた。太公望を愛するヒロインだった。橋本祥平さんが「妲己との頭脳戦が見どころ」と発言していたけど、だってあれって太公望(+王天君=伏羲)と妲己の壮大な茶番劇でもある。「太公望…いなくならないで…」という念の強すぎる私は「妲己ちゃん、師叔をどうかよろしくね…」という気持ちになりました。

特にサブタイトルが「目覚めの刻」なので…太公望が目覚めるわけですよね、主人公として。英雄として。そしてvs九竜島の四聖からのvs聞仲までが描かれたことで、聞仲がラスボスとして立っていて、申公豹も戦闘に参加しているシーンがあるので、ストーリーの外野にはなっていません。おそらくこれからもストーリーテラーみたいに中立してしまうことはなく、物語の渦のなかにいつづけるんじゃないかな。

そうして歴史の傍観者たちを主人公・太公望が巻き込んでいく、それが後世に語り継がれる「封神演義」。ミュージカルのシリーズが完結するとき、太公望たちが「歴史の道標」の存在を知り、目の前にある「用意された道筋」に気付いたとき、この「本」にまつわるどんな演出が用意されているのか、今から楽しみで興奮しちゃう。

 

【5】ストプレではなくミュージカルという、腹のくくり方

蛇足になりますが、なんでミュージカルなんだろうっていうことについても考えてはみました。

私のなかでミュージカルは、「ストーリーはそこそこだけど音楽の力でなんかすごいもの観たっていう満足感を味わえるもの」というイメージが強い。音楽の力という意味では……正直にいうと覚えている曲がない。これ以上でもこれ以下でもないかなと。

当たり前ですが聞仲役の畠中洋さん、そして妲己役の石田安奈さんも声がかわいくて歌よかったです。他のキャストもメインどころであるほど(2.5では)歌える役者さんを配置していた印象。運動量の多い舞台なので、みなさんすごくがんばっているなあと思いました。

でも今作がミュージカルであるのは、歌で伝えたいよね!ということではなく、多分、歌に乗せてぽんぽん展開を進めていかないと話が終わらないから、っていうのが一番の理由なんじゃないかと推測しています。

封神演義って漫画でたった23巻しかないのに、情報量と話の密度も異常だし、話の方向転換が多くて物語の舞台もころころ変わるので、まともに演劇にしてたらシリーズ10作くらいやらないと完結できないんじゃないかと思う…。太公望の心情ももっとゆっくり味わいたかったけど、あのスピード感でとんとん展開進めないと、逆にいち公演の中で話が行ったり来たりしすぎてわかりにくいんだろう、と納得。

歌詞が聞き取れないっていうのは問題なんだけれども、説明パートとか戦闘シーンは歌に乗せちゃったほうがテンポがよくなるし、この作品を舞台でも完結させるためにミュージカルにするしかなかった、というのが個人的に一番しっくりきます。「本」の演出もあって、その意気込みを感じています私は。

 

【6】漫画をあえて2.5次元にする意義は

ここまで書いて。正直、「本」があるからって何が漫画と違うの?とか、太公望がうんぬんとか意味不明だなと自分で思っているし、自分で書いたことの意味を自分でよく理解できてないです。

そもそもこんなに理屈ぽく作品を見る必要はなく、私がこんな風に考えたことにも論理的な根拠もない。ただ私はそう感じて、勝手に感動して、作品を楽しんでいる。舞台ってハードル高いイメージがあるとよく言われるけど、自分なりの楽しみ方を見つけられたらそれでいいと思います。正解はないから。

ただ、漫画を舞台化する魅力っていうのは、平面の世界じゃなく、人、音、光、小道具、舞台セットをその空間でフル活用して、観客と同じ時間を共有しながら物語を新しい表現の仕方で見せるというところにあって。吉谷さんはその、3D空間における物語の再構築がとてもうまい方で、高さと奥行きのある板の上で、布、照明、それを操る役者(おもにアンサンブル)で無いものものをあるように見せる、一つのものに複数の意味合いを持たせる……その演出が楽しいんですよね。舞台ってこんなことができるんだと驚かされます。

今回で言えば「本」だけれど、原作では登場しなかったものは必ず意味を持って舞台上に生み出されている。むしろ漫画ではビジュアルで登場させようがなかった「歴史の道標」というテーマを、読み解くだけでこんなにおもしろいから、「漫画の舞台化」ってつくづく楽しいなって思います。