さちこウィークリー

漫画と舞台が好き。観た作品の感想や観劇についてのあれそれを気ままに綴ります。

ミュージカル「封神演義」は誰が語る誰の物語か

ミュージカル「封神演義 -目覚めの刻-」を観劇しました。

 

musical-houshin-engi.com

 

漫画「封神演義」といえば説明不要の名作ですね。物語のおもしろさに魅了されたのはもちろんですが、私はこの漫画のおかげで「作品について考察する」楽しみを知り、漫画を一つの文化として尊重すべきという考え方を持つようになりました。人生で大切な漫画ベスト3にランクインする大好きな作品です。

2.5次元系の舞台を観るオタクには常に「大好きなあの作品が舞台化するのは嬉しい、けど出来が悪かったらどうしよう、クオリティは高くても自分好みの仕上がりじゃなかったらどうしよう」という不安がつきまとうもの。私も不安を抱えていましたが、演出の吉谷光太郎さんは好きな演出家さんの一人で、主演の橋本祥平さんはとにかく顔が強い、美人――この2点に期待をかけていました。

感想を簡潔にまとめると「ミュージカルとしての満足度はそこそこ、舞台としての魅せ方がおもしろかった、完結まで見届けたい」というところですね。そして私は今回ミュージカル版を観たことで、封神演義」とは誰が語る誰のどんな物語なのか、ということを再発見できました。そういう意味で、原作ファンであれば観ておくべき作品だと思います。

 

今回は、

というトピックにわけて、ミュージカル「封神演義」が漫画「封神演義」をどう再構築したのかという解釈と、私はミュージカルを観たことで「封神演義」をどう再発見したのかという感想を書いていきます。

あくまで私なりの作品観であって、まったく違う見方をしている人のほうが多いことも知っているし、基本設定として違うっていうことも理解はしているけれど、作品というのは観客の目に触れた瞬間から、観客一人ひとりのなかで育っていくものですから。あくまで私の感想なので、ご了承ください。

 

【1】私にとっての「封神演義とは」を改めて考える

私は「封神演義」を、太公望という人の孤独と傲慢と優しさと懺悔と希望の、静かに深く沈み込む伝記だと思っていました。これは改めて考えても間違いではないんだけれど、リアルタイムで読んでいた当時の印象は少し違ったな、ということを思い出したので、最初にまとめておきます。

封神演義」はとても不思議な作品で、序盤から「封神計画」「打倒妲己」「仙人のいない人間界」そして「歴史の道標」という、物語のゴールを示す明確なキーワードは登場しているのに、その意味するところはなかなかはっきりしない。いや、どの「●●編」でもこれらの目標は提示されて、そのために一つひとつ試練をクリアしているのは確かなんだけど、あまりにめまぐるしく物語が動いて、かつ常に「この先で何かある予感がする」のに全く予想ができないという不安感・期待感に満ちていた。当時私がまだ小学生だったから先が読めなかったというのも大きいと思うけど。
そして、中だるみもなく、長編と長編の間の「休憩回」みたいなものもほぼなく、次々と物語の舞台が動いてストーリーが走り続けるので、気づいたら終わっていた。ギャグに振り回され人間ドラマに涙し個性的なキャラクターたちに心ときめかせていたら終わってしまった。ずっとわくわくドキドキしながら読んでいた。そして最後に残ったのはこれ以上ない幸福感であり、太公望を恋しく思う喪失感でもあった。この喪失感が私には重すぎて、冒頭のような感想を抱くに至る。

封神演義」は、終わらせるために始まった物語で、始めるために終わらせる物語だった。はじめから「消滅」に向かっていた。それが私には苦しくて、今でも苦しくて、苦しいって気持ちをずっと引きずってしまっていたけれど、「終わるまでは」この物語はどこにたどり着くんだろう、何を成し遂げるんだろうっていう、希望をみんなが抱いていたんだった。ここまでですっかりどシリアスな気分になっているのですが、あの漫画は9割がギャグだよね。そのふり幅もつくづくすごいと思う。
ミュージカルではこの「楽しさ」が存分に味わえました。最近では珍しい、映像を使わない演出で、いろんなことを人間と小道具、照明、音の力で見せてくれたり、ギャグありメタネタあり(キャストいじりあり)。ミュージカルなのもその「ワクワク感」を増してくれていたなと。

ついでに、私はこの物語の終焉ののちに私が生きる現代があると思っていて、漫画「封神演義」を現代より未来のSFとは捉えていません。理由は初めて読んだときにそう思ったからっていうだけですが、いま自分が「導なき道」を歩んでいると思いたい。

 

【2】太公望はなぜ、主人公になりたがらないのか

さて、漫画「封神演義」は、終わってみれば太公望(伏羲)自身がシナリオを描き、太公望がそれを演じてみせた物語であったと言えると思う。作中、太公望はしきりに「主人公らしくない」といじられるのだけど、彼の行動自体は紛れもなく「主人公たる英雄」だ。ちょっとジャンプのバトルものの王道主人公とは違うだけで。そしてすべての道筋を描いた張本人である。

その彼はなぜ自分を主人公らしからぬキャラクターとして立たせたのか。私がこれについて考えたのは、ミュージカルで太公望を演じる橋本祥平さんがパンフレットで「太公望は主人公なのにすごく強いっていうわけでもなく、どういう魅力があるんだろうって考えてて、すごく強かったりするわけじゃないことが、逆に魅力なのかな」(すごく意訳)という発言をしていたから。

太公望が自分一人で物事を成さない(ようにしている)のは、彼は、いつか自分が仲間たちと一緒にいられなくなる存在だとわかっているからなんだろうなと私は思う。もちろん太公望(×伏羲)はそんなことわかってない、けどわかっている。だって王天君が「魂がそう言ってる」みたいなこと言ってたし、魂がわかってるんだと思う。

漫画「封神演義」において太公望(伏羲、王天君)は、シナリオライターで、黒幕ですらあり主人公=英雄ではない

ちょっと脱線すると、太公望は自分(伏羲)たち始祖の介在しない未来をつくろうとしていて、自分がいなくなったあとに自分がいないからこそ輝く世界をつくるために、自分についてきてくれ、そしてみんな消えてくれと(直接ではないが)、(女媧含む)仲間に言わなきゃいけなかった太公望の気持ちというのが、彼は初めから、自分がいなくなったあと、導なき道を見据えて、生きてきたってことが、私には苦しくてたまらないです。

 

【3】舞台化におけるテーマを紐解く4つの違和感

ここまでを前提として、ミュージカル「封神演義 -目覚めの刻-」を観劇したときの4つの違和感から、ミュージカルが描いていた(描いていく)ものについて考えてみます。

①敵味方関係なく回し読みしている謎の「本」

「封神の書(リスト)」(巻物)ではない「本」(網代綴じ風)は冒頭から登場しました。世界観の説明パートで(現時点での)敵味方関係なく、いろんなキャラが本を片手に歌います。誰もそれについて触れないし、最初は「え、なにそれ、漫画にそんなのなくない?」と思ったけど楊戩が手にしたときちょっともうジーンと胸に響いて勝手にピンと来てしまった。ラストシーンというかカーテンコールの最後には、太公望までもが本を手にし、舞台中央に置いてはけていきました。

 

ストーリーテラーに徹しない申公豹

申公豹は漫画では、太公望といつか対決するのでは?という雰囲気を醸し出しておきながら一向にその時は来ず、いまいち立ち位置のわからぬままストーリーテラーとしての役割をしばしば担っていたキャラクターです。私は舞台では彼が完全にストーリーテラーとして話をまわしていくものと思っていたので、ちょっと意外でした。

 

③バリバリ主人公っぽい太公望

劇中でも「主人公らしくない」と言われるものの、ミュージカルの太公望はバリバリに主人公です。一幕ではvs申公豹やvs妲己、蠆盆などのイベントが目白押しで、二幕もvs九竜島の四聖、vs聞仲でしっかり見せ場あります。というか太公望めちゃくちゃかっこいい。顔もいい。

 

④やたらと匂わせをする妲己ちゃん

漫画でも「歴史の道標」というキーワードは初期から登場するのですが、ミュージカルではわずか3時間弱の間に、たぶん3回くらい出てきたと思う。妲己ちゃんがよく口にしていた。確かに漫画はこの伏線を張っていたことによって、物語が迷子にならず完結することができたと思うけれど、やたら「歴史の道標」発言が多いな、という違和感。

観終わった直後は、妲己ちゃんにところどころ匂わせさせず、ストーリーテラーは1幕2幕通して申公豹だけに統一したうえで、最後に妲己ちゃんがチロっとメタいこと言ったらゾクっときたのにな~なんて妄想していました。

 

【4】ミュージカル「封神演義」は、誰が語る誰の物語か

いきなり別の作品の話をはさんでしまうと、舞台「刀剣乱舞」という作品で「物が語る故、物語」というセリフが頻出します。これの意味するところは置いておいて、ふと「ミュージカルの封神演義は、誰が語る物語なんだろう」と考えたら、違和感がすっきりしました。

まずミュージカルでいきなり登場した「本」は、「歴史の道標」であり、記録としての「封神演義なんだと思う。もちろん舞台ではそのイメージを本の形で表現しているっていうことだけど。

敵味方関係なく誰もが共有している(してしまっている)「歴史の道標」。妲己ちゃんがやたらと匂わせていたのも、この物語は「歴史の道標」のシナリオに沿って進んでいきます、みたいな前提の共有なのかなと。

そして楊戩がこの本を手にしているのを見て、これは女媧の書いたシナリオで、かつ、いつか「封神演義」として楊戩たちが残す、太公望の戦いの記録なんだと思って、冒頭からうるっときてしまった。

太公望(伏羲)という話の導き手を排除してみると、太公望は主人公然としているべきで、妲己ちゃんは倒すべき敵になる。しかし妲己ちゃん、漫画に比べて狂気の演出が弱いというか、ひどく理性的に行動しているように見えるんですよね。全然不気味じゃないし怖くないし、「妲己を倒す!」となっていてもラスボス感がない。かつ彼女が「歴史の道標」の存在を強く意識していたことで、太公望を見守っている」ように私には見えた。太公望を愛するヒロインだった。橋本祥平さんが「妲己との頭脳戦が見どころ」と発言していたけど、だってあれって太公望(+王天君=伏羲)と妲己の壮大な茶番劇でもある。「太公望…いなくならないで…」という念の強すぎる私は「妲己ちゃん、師叔をどうかよろしくね…」という気持ちになりました。

特にサブタイトルが「目覚めの刻」なので…太公望が目覚めるわけですよね、主人公として。英雄として。そしてvs九竜島の四聖からのvs聞仲までが描かれたことで、聞仲がラスボスとして立っていて、申公豹も戦闘に参加しているシーンがあるので、ストーリーの外野にはなっていません。おそらくこれからもストーリーテラーみたいに中立してしまうことはなく、物語の渦のなかにいつづけるんじゃないかな。

そうして歴史の傍観者たちを主人公・太公望が巻き込んでいく、それが後世に語り継がれる「封神演義」。ミュージカルのシリーズが完結するとき、太公望たちが「歴史の道標」の存在を知り、目の前にある「用意された道筋」に気付いたとき、この「本」にまつわるどんな演出が用意されているのか、今から楽しみで興奮しちゃう。

 

【5】ストプレではなくミュージカルという、腹のくくり方

蛇足になりますが、なんでミュージカルなんだろうっていうことについても考えてはみました。

私のなかでミュージカルは、「ストーリーはそこそこだけど音楽の力でなんかすごいもの観たっていう満足感を味わえるもの」というイメージが強い。音楽の力という意味では……正直にいうと覚えている曲がない。これ以上でもこれ以下でもないかなと。

当たり前ですが聞仲役の畠中洋さん、そして妲己役の石田安奈さんも声がかわいくて歌よかったです。他のキャストもメインどころであるほど(2.5では)歌える役者さんを配置していた印象。運動量の多い舞台なので、みなさんすごくがんばっているなあと思いました。

でも今作がミュージカルであるのは、歌で伝えたいよね!ということではなく、多分、歌に乗せてぽんぽん展開を進めていかないと話が終わらないから、っていうのが一番の理由なんじゃないかと推測しています。

封神演義って漫画でたった23巻しかないのに、情報量と話の密度も異常だし、話の方向転換が多くて物語の舞台もころころ変わるので、まともに演劇にしてたらシリーズ10作くらいやらないと完結できないんじゃないかと思う…。太公望の心情ももっとゆっくり味わいたかったけど、あのスピード感でとんとん展開進めないと、逆にいち公演の中で話が行ったり来たりしすぎてわかりにくいんだろう、と納得。

歌詞が聞き取れないっていうのは問題なんだけれども、説明パートとか戦闘シーンは歌に乗せちゃったほうがテンポがよくなるし、この作品を舞台でも完結させるためにミュージカルにするしかなかった、というのが個人的に一番しっくりきます。「本」の演出もあって、その意気込みを感じています私は。

 

【6】漫画をあえて2.5次元にする意義は

ここまで書いて。正直、「本」があるからって何が漫画と違うの?とか、太公望がうんぬんとか意味不明だなと自分で思っているし、自分で書いたことの意味を自分でよく理解できてないです。

そもそもこんなに理屈ぽく作品を見る必要はなく、私がこんな風に考えたことにも論理的な根拠もない。ただ私はそう感じて、勝手に感動して、作品を楽しんでいる。舞台ってハードル高いイメージがあるとよく言われるけど、自分なりの楽しみ方を見つけられたらそれでいいと思います。正解はないから。

ただ、漫画を舞台化する魅力っていうのは、平面の世界じゃなく、人、音、光、小道具、舞台セットをその空間でフル活用して、観客と同じ時間を共有しながら物語を新しい表現の仕方で見せるというところにあって。吉谷さんはその、3D空間における物語の再構築がとてもうまい方で、高さと奥行きのある板の上で、布、照明、それを操る役者(おもにアンサンブル)で無いものものをあるように見せる、一つのものに複数の意味合いを持たせる……その演出が楽しいんですよね。舞台ってこんなことができるんだと驚かされます。

今回で言えば「本」だけれど、原作では登場しなかったものは必ず意味を持って舞台上に生み出されている。むしろ漫画ではビジュアルで登場させようがなかった「歴史の道標」というテーマを、読み解くだけでこんなにおもしろいから、「漫画の舞台化」ってつくづく楽しいなって思います。